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noteより:ファミリービジネスにおける転換点となった農業3年間のお話(銀行から沖縄フルーツランドへ)
更新日:2021年6月11日
note/安里博樹より
https://note.com/hiroki_asato/n/n819d17a07a87
2001年9月アメリカ同時多発テロが発生し、沖縄観光も大変な影響を受けました。
当時は琉球銀行に勤めており、取引先のホテルへお伺いしたのですが、 ホワイトボードに書かれていた予約がどんどん消えていきました。
心配になり、沖縄フルーツランドに確認してみると、 同じようにキャンセルが重なっておりました。
それから数ヶ月後、父から連絡がありました。 話の内容は、「フルーツランドで働かないか」との打診でした。
テロの影響が大きかったのは理解していましたが、 銀行での仕事は、上司や同期同僚にも恵まれ、もっと経験を積みたかったので、断ることにしました。
それから一年後、 先に沖縄フルーツランドへ入社していた弟から連絡がありました。
「兄貴、助けてくれないか・・・」
弟からの声は断る事ができませんでした。
半年後、色々な覚悟を持ち沖縄フルーツランドへ転職しました。 まず、日中スタッフさんと一緒に働きながら、夕方にかけ数字をチェックし、観光業の特殊性や動きを理解していきました。

さて、
そんなある日、従業員同士の懇親会がありました。
私は「農業法人」の方々と一緒の席でした。
農業法人は、フルーツを生育や園内施設の管理を行う部署、 夏の暑い日や冬の寒い日も体力的に一番大変な仕事です。
最初は和気藹々と楽しく飲んでいました。
しかし、時間も経ち、お酒も入ったからだと思いますが、 メンバーの一人が強い口調でこう言いました。
「お前のお爺さんや親父さんは、 パイナップルを育てる所からここまで来たんだ! その苦労が分かるのか! 突然銀行から来て何をやっている!!」
私は、フルーツランドと同じ歳です。 小さい頃から働いている方々とは身近に過ごしていた為、その気持ちは直ぐ理解できました。
素直にその方々を納得させなければならないと感じました。
早速・・・ 翌日から農業法人の仕事につきました。
パイナップルの植え付けから収穫まで、園内の造園や整備など、 常にスタッフさんがやっている以上の仕事を心がけました。
初日は熱中症になりましたが、日を重ねるごとに体は慣れていきました。 季節ごとの仕事を覚えていき、2度目の季節を迎える頃には、改善に向けての動きもかなりできるようになりました。
農業は一言で言うと、自然との戦いです。 まず、体力的に強くなくてはいけません。 肥料や造園など勉強することは山ほどあります。 一番難解なのが、自然環境との対話と予想。 毎年パイナップルを植え付けても同じ環境はありません。 土壌や天候、実の生育時期、全て異なります。 それがうまくいっても、台風で全てダメになったりと、まさに自然との戦いです。 しかし、大変多くの事を学ぶ日々でした。

さて、 3年ほど経ったある朝の事です。
いつものように本日の仕事のイメージしていたら、 以前、厳しい言葉を言った方が話しかけてきました。
「安里さん・・・、参った・・・、 あの時はすいませんでした。 もう、元の仕事に戻って下さい。 これからもお願いします!」
あの日の言葉を謝りに来ていたのです。
おそらく、 その方が他の部署にも話してくれたのでしょう。 それ以降・・・、 スタッフさんからは全面的な協力をいただけるようになりました。
農業に携わる部署は体力的にきつい仕事です。 だからこそ、その方々の「声の影響力」は大きかったのです。
ファミリービジネスでは、親族が中途より入ってくる事はよくある事です。 しかし、突然会社にきた親族の人間が、 いきなり上役になったら嫌な気持ちになりますね。 皆様に信頼していただける為には、 仕事の量質共に凌駕していくしかないと思います。 私が知っている次世代のファミリービジネスの方々は、 一様にその信頼を得る為に頑張っております。
さて、この農業法人の経験から、フルーツの「調和」というテーマが生まれ、 トロピカル王国物語誕生へとつながっていきます。 そして、フルーツ園を絵本の世界にしていくと言う突拍子もない話も、一切の反対もなく、スタッフの皆様と一緒に創ることができました。
農業法人での経験は、 ファミリービジネスにおける大きな転換点を実感する出来事でした。